Hahnah Chronicle

私の人格を形成したもの

Authors
原井 夏樹
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私の人格を形成した人物・出来事について時系列順に語っていく。

幼少期 -- 私の本当の性格

私は幼少期、とにかく誰からも愛情を注がれた。
同じ子供たちからも、誰からも好かれたように思う。
私のことを好きじゃない人なんてこの世にいないとさえ思っていた。

そんな環境で過ごした私は、とにかく明るく、社交的で他人と自ら関係を持つ性格だった。
そして幸せな感覚に満ちていて。

実は成長するに連れてその性格は失われ、真逆のものとなった。
年をとって脳が劣化したら、また本来の性格を取り戻すんじゃないだろうかと密かに思っている。

「その頃の性格に戻りたい?」と聞かれたことがある。 「正直言ってわからない。今の自分も悪くない。」そう答えたような気がする。

小学校時代 -- 大人たちの拒絶による愛着障害

小学校低学年では、私は友達が多かったと思う。違う幼稚園・保育所の子であっても、仲良くなりたいと思ったらずっと付きまとっていた。(その子たちとは6年間仲良く過ごした。) しかし、私の横柄な態度が原因で、大人たちから注意されることが2度あった。

一つは、私が友人宅に遊びに行き、ベッドに登った時、「そんなことするならもう来るな!」と友達の父から注意された。
当時の私には、何がいけないかったのか理解できなかった。ただただ、怒られ、拒絶されたのだ。 最も仲の良い友達の1人だったのでよく遊びに行っていたが、それ以来行っていない。

この "拒絶" は、私にとってトラウマになった。

もう2つの出来事がある。

まずは祖父からの言葉だ。 私がいつものように電話越しにおもちゃをねだると、「おもちゃが欲しいだけで、じいちゃんのことはどうでもええんやろ!?」と言われた。
度が過ぎていたのだろう。その言葉がずっと心に刺さっている。拒絶されたように感じた。

最後は祖母が関係することだ。 私は祖母に個人スーパーへ連れて行ってもらい、お菓子をたくさん買ってもらった。
それも1,000円分くらいだ。これは小さな子供にとってはあまりにも多い。
祖母は何も言わなかったが、顔見知りの店員さんに、「こんなに買ってもらったらあかんで!!」と怒られた。 私はなんでも私の思い通りに叶う環境にいたからか、それを "祖母からの" 拒絶と感じた

これらの拒絶される経験を通して、天真爛漫な私の性格は大きく変わった。

小学校高学年になる頃には、回避型愛着障害になっていた。
回避型愛着障害というのは障害というわけではない、大きな問題が根ざした性格・性質である。
具体的には、他人との関わりを避ける傾向があり、他人と親密になることができない性質だ。

以前の私とは真逆の性格になってしまい、20代の終わり頃までこの問題に苦しむことになる。

偉大な祖父の影響

祖父は私が最も影響を受けた人物だ。そして私のことをとても深く愛してくれ、私が最も愛した人の1人だ。
ちなみに、私には生まれた時から祖父が1人しかいないので、この祖父は先ほどと同一人物だ。

祖父は電気技師であり、様々なものを自分で設計し作ってみせた。
私は何かを作ることが好きだが、それはきっと祖父の影響だ。

祖父はラジオや電波時計なんかを自作していた。

祖父は色々なものに興味を持っていた。

天体に興味を持っていて、高額な望遠鏡をアメリカから取り寄せていた。私にもそれをよく覗かせてくれた。

ミクロの世界にも興味を持っていて、色々な顕微鏡やレンズを取り揃えていた。
顕微鏡用の紫外線照射装置(だった気がする)を自作までしていた。

そんな祖父の影響を受けて私は科学や技術に興味を持ち、幼い頃からその辺のもので何かを自作していた。
最後に私はコンピューターサイエンスの興味に辿り着いた。

祖父も多少コンピューターに詳しかった。
不要になったデスクトップPCを私に分解させてくれて、これはなんていうパーツだとか、どんな役割だとか、教えてくれた。
ハードディスクドライブの中の円盤がどれほど美しく輝くか、知っている人は殆どいないだろう。

祖父からは幼少期から少年期、青年期の手前まで多大な影響を受けた。

祖父はクリエイティブなだけでなく、社交的で人から好かれる人でもあった。そんな人になりたいとずっと思っている。
年をとるに連れて、それに近づいているような気がする。

両親の不和

小学校中〜高学年くらいになる頃には、両親はとても仲が悪くなっていた。誇張ではなく、事実、毎日怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
離婚するという話にもなり、「どっちに着いていくのか?」と意思を問われた。
私は「どっちにも着いていかない」と答えた。
「離婚するなら1人で暮らす」と抵抗した。
小学6年生の私は泣きがら両親を止め、離婚を回避した。

この時からは私は、誰にも頼らず1人で何でもできて、1人で生きていける人間になることを心に決めた。
もう今はそんな風には思っていないが、しばらくの年月、私の人格に影響を与えた出来事だった。

漫画の主人公の影響

中学〜高校時代、私は "ツバサ" という漫画にハマっていた。連載中にアニメ化もされていて、アニメの方のタイトルは "ツバサ・クロニクル" だ。

この漫画の主人公は15歳くらいの少年で、小狼(シャオラン)という。
彼はとにかく真面目で、努力家で、決して諦めない一本気な性格だ。

私はそんな主人公が大好きで、憧れていて、彼のような強い意志を持つ人間になりたいと思った。
私は元々真面目で粘り強い性格ではあったがそれに輪をかけて真面目な性格になったと思う。

弟の病気

私が高校生の頃、弟が重篤な病気にかかった。 詳しくは書かないが、非常に重篤な病気で、半永久的な入院生活が必要なほどだ。

これは私にも半永久的な後悔をもたらした。
私は弟の病気を回避できる、最も可能性の高い立ち位置にいた。
しかし、私は事態を軽視し、弟にひどい言葉も投げかけた。

私は横柄でひどい人間だったが、このことがきっかけで人に優しくなった。
また、誰かを危うい状況にいる人を助けるようになった。

今では聖人などと言ってもらえることもあるが、元々はそんな人間ではない。
ただただ、弟のことに後悔があり、同じようなことが起きないようにしたいのだ。

この出来事は私の人格を大きく変えた。

仕事での成長

両親の不和の影響から、私は誰にも頼らず1人で何もかもする人間になっていた。

仕事でもそうだった。
私は能力が高く、多くのことを1人でできるタイプの人間だと思うが、1人の力には限界がある。
仕事で、他人を頼らなかったためにうまくいかないことがあった。 そして、求めれらる成果が高かった。

私は、なりふり構わず、他人を頼ることをしてみた。
それは、関わりのない他所の部署にいる有識者たちに助けを求めることだった。
彼らはとても親切に助けてくれた。
そうしたら高い目標の仕事をこなすことができた。

この成功体験のおかげで、私は自分1人だけで何でもやろうとする性格を改めることができた。

親友の影響

20代の終わり頃、親友ができた。親友は私のことをとても深く理解してくれ、私も親友のことを深く理解した。
これまでに書いた私のかかえる人格形成の問題を聞いてくれ、受け入れてくれた。

回避型愛着障害の問題については、部分的に親友のおかげで解決に向かったと言ってもいい。
原因がわかったことで、私は当時の事象を頭の中で追体験し、原因となった大人たちに子供の自分が何と言って欲しかったかを強くイメージした。
それで、私は回避型愛着障害を克服することができた。子供の頃の自分が哀れで、涙が止まらなかった。
私は誰とでも関わることのできる、社交性を取り戻した(幼少期ほどではないが)。
今の私は、いろんな人と親密になれると思う。

また、親友は人付き合いの達人だった。同じようにはいかないが、多くを学んだ。

元婚約者の影響

彼女は多趣味で、偏見なくいろんなことにトライする人だった。
その影響を受けて、私も色んな趣味をやってみるようになった。
一つの趣味だけに没頭するタイプだったが、色んなことに手を出すのも悪くない。
中間くらいの位置に今の自分はいる。

また、親友と同じく、彼女も回避型愛着障害の問題解決に大きく貢献してくれた。

彼女は繊細な人だったので、自分はそれまで以上に人の気持ちを考え寄り沿うようになった。

今の自分の人格まとめ

自分で言うのはおこがましいが、今の私は割といい人格をしていると思う。そんな自分のことが好きだ。

まとめると、以下の人格を持っている:

  • 作ることが好き
  • 真面目
  • 1つのことにのめり込むのと、色んなことに興味があるのの中間
  • 優しい
  • 人を助け、人の気持ちを考える
  • 人並みには社交的
  • 人を頼ることができる